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オスマン大衆音楽

現代ギリシャ、トルコの民族音楽の基盤として様々な文化を吸収、発展させていったオスマン大衆音楽についてです。

オスマン大衆音楽​とは

オスマン大衆音楽とは、その名の通りオスマン帝国下において演奏されていた音楽のことです。
 オスマン帝国の支配は、最盛期で西はバルカン半島から東はイランまで及びました。彼らは同化政策ではなく宗教別の統治方法を行うことで、文化的多様性を保ちながら帝国として発展して行きました。その中で、隣り合う文化は混ざり合っていったのです。
 この環境下で、大衆音楽産業はカフェ、ナイトクラブ、キャバレーでギリシャ人やユダヤ人によって始められました。
 オスマン帝国下ではムスリム女性以外の、オスマンギリシャ人やアルメニア人の女性が公共の場でパフォーマンスをしました。ムスリム女性が参加し始めたのは、1922年に建国されたトルコ共和国時代以降のことです。オスマン女性歌手、ダンサーはtuluatという即興劇場でパフォーマンスをしました。Gulistan HanimやHafiz Burhan Sesyilmazというジプシーが、その道のスペシャリストとして有名でした。
 オスマン大衆音楽は現在のトルコだけではなく、支配下の各地で演奏されました。オスマン帝国下の各都市で花開いた各地の伝統によって構成された複雑な全体像、即興の多く含まれる自由なリズムの歌唱法が特徴としてあげられます。
 また多様なオスマン大衆が創られただけでなく、オスマン大衆音楽の輸入と同時に、ギリシャの島の踊り、syrto、ルーマニアジプシーのlonga、アナトリア地域のtiurki はコンスタンティノープル/イスタンブールの影響を受けています。
  この地域で生まれた文化は各地に独特なものがありつつも互いに強く影響され、人々は交じり合いました。この文化は「エーゲ海地域の文化」であり、各民族の文化的土壌でもあります。
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